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東京地方裁判所 昭和35年(わ)2544号 判決

被告人 田中学 外一四名

主文

被告人田中学、同富永宏、同関勇を各懲役一年に、被告人佐藤侯夫、同浜崎徹、同中林真一を各懲役八月に、

被告人清水丈夫、同鬼塚雄丞、同林紘義、同大島芳夫、同井村友彦、同西部邁を各懲役六月に、

被告人蔵田計成を懲役四月に、

被告人星野中、同早川繁雄を各懲役三月に、

それぞれ処する。

ただしこの裁判確定の日から被告人関勇に対しては五年間、被告人田中学、同富永宏に対してはいずれも四年間、被告人清水丈夫、同鬼塚雄丞、同林紘義、同大島芳夫、同星野中、同早川繁雄、同西部邁に対してはいずれも三年間、被告人佐藤侯夫、同浜崎徹、同中林真一、同井村友彦に対してはいずれも二年間、被告人蔵田計成に対しては一年間右各刑の執行を猶予する。

本件公訴事実中被告人田中学、同富永宏、同星野中、同早川繁雄、同井村友彦に対する昭和三五年六月三日午後四時二〇分頃から午後五時過ぎ頃までの間における公務執行妨害の事実について右各被告人はいずれも無罪。

理由

(本件発生に至るまでの経過と被告人らの地位)

全日本学生自治会総連合(以下全学連と略称する)は、昭和三三年一二月に開催した第一三回全国大会において、当時伝えられていた「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」(以下安保条約と略称する)改定の動きに対し反対の態度を明らかにし、昭和三四年六月の第一四回全国大会においても再び右の態度を確認するとともに、改定阻止を運動方針の基本にすえてこれを目的とする大衆運動を展開することとした。当初全学連は安保改定阻止国民会議の傘下でこれと統一的な行動を行なつていたが、同年九月の第一九回全学連中央委員会の計画により一〇月三〇日全国的規模での授業放棄を行ない、続いて一一月一三日国会周辺の集団行進を、一一月二七日国会構内侵入の集団行動を実施する頃からは、右国民会議の行き方を飽き足らずとして、独自の立場で次々と強力な運動を計画推進するに至り、昭和三五年一月二六日には岸首相の渡米阻止を目的としたいわゆる羽田空港事件を、四月二六日にはチヤペルセンター前での警察部隊との衝突事件を惹き起こした。さて、五月一九日夜おそく衆議院において、清瀬議長が警察官五〇〇人を国会内に入れて社会党議員による阻止行動を排除したうえ本会議を開会し、社会、民主社会両党の議員が本会議場にはいらぬまま五〇日間の会期延長を可決し、さらに二〇日午前零時過ぎから本会議を開会し新安保条約を承認するとともに関係案件を可決したとの報道が伝わると、これに抗議する意味をも加えて改定反対の動きはますますその規模と激しさを増すこととなつた。以下の本件各犯行はいずれもこのような状況のもとで行われたものである。

本件発生の昭和三五年五、六月当時、被告人中林真一、同大島芳夫を除く被告人らはいずれも全学連に所属する学生であつて、被告人清水丈夫は東京大学経済学部四年に在学中で全学連の書記長をしていたもの、被告人田中学は東京大学経済学部三年に在学中で全学連の支部である東京都学生自治会連合(以下都学連と略称する)の執行委員をしていたもの、被告人鬼塚雄丞は東京大学経済学部四年に在学中で同大学学生自治会中央委員会議長をしていたもの、被告人林紘義は東京大学文学部四年に在学中で都学連の執行委員をしていたもの、被告人富永宏は金沢大学教養学部二年に在学中で全学連の支部である北信越学生自治会連合の委員長をしていたもの、被告人佐藤侯夫は静岡大学文理学部四年に在学中で同大学学生自治会中央委員会書記長をしていたもの、被告人浜崎徹は明治大学法学部三年に在学中で同大学学生自治会中央執行委員会委員をしていたもの、被告人大島芳夫は昭和三三年三月日本大学経済学部を卒業したもので在学中は同大学学生自治会委員長を勤めたことがあるもの、被告人蔵田計成は早稲田大学第二政経学部に在学中で都学連の副執行委員長をしていたもの、被告人中林真一は高等小学校卒業後工員となり当時熔接工をしていたもの、被告人星野中は東京大学経済学部四年に在学中であつたもの、被告人早川繁雄は明治大学文学部四年に在学中でかつて同学部学生会の副委員長をしたことのあるもの、被告人関勇および同井村友彦はいずれも明治大学農学部二年に在学中であつたもの、被告人西部邁は東京大学教養学部二年に在学中で全学連中央執行委員兼都学連副執行委員長をしていたものである。

(罪となる事実)

第一、五月二〇日関係

(一)  昭和三五年五月二〇日全学連の主催の下に学生ら約六、〇〇〇名が東京都公安委員会の許可を受けないで、安保条約の改定阻止と新安保条約の単独採決に抗議するなどの目的で、(イ)午後二時五〇分頃から午後三時三〇分頃までの間東京都千代田区永田町二丁目一二番地衆議院第一議員会館前の道路上で集会を、(ロ)引き続いて参議院第二、第一各通用門を経て同町二丁目一四番地国会議事堂正門前まで集団行進を、(ハ)午後四時頃から午後六時頃までの間右国会議事堂正門前で集団示威運動を、(ニ)続いて午後七時三〇分頃までの間同所から参議院第二通用門前、総理大臣官邸前、永田町小学校前を経て、同区平河町二丁目七番地自由民主党本部前に至る道路上で集団行進を行なつたが、

被告人清水丈夫、同田中学、同鬼塚雄丞、同林紘義、同富永宏、同佐藤侯夫は共謀のうえ、右(イ)の集会の際被告人清水は全学連を代表して当日の運動方針等についての演説を、被告人田中は開会宣言、司会をし、右(ロ)の集団行進の際被告人田中は出発地点において隊列の組み方の指示、行進開始の合図を、行進中は隊列先頭部を進む宣伝カーに乗つて行進の誘導を、被告人清水、同富永は行進中右宣伝カーの上から隊列の整理、行進の誘導を、被告人鬼塚、同林は行進中その先頭に立つて誘導を、被告人佐藤は行進中その先頭を進んだ自動三輪車に乗り行進の誘導をそれぞれし、右(ハ)の集団示威運動の際被告人清水、同田中、同富永、同佐藤は「岸内閣を倒せ」「安保反対」「警官は帰れ」などシユプレヒコールの音頭を取り、また徹底した行動をとろうと呼びかけ、右(ニ)の集団行進の際被告人清水は出発にあたつて行なわれた自治会代表者会議において総理大臣官邸方向へ集団行進するとの方針を指示し、被告人田中は出発地点において隊列の整理、行進進路の指示を、被告人鬼塚、同林は総理大臣官邸前に至る間明治大学学生および東京大学学生の各隊列の先頭に立つて行進の誘導をし、もつて右無許可の集会、集団行進および集団示威運動を指導し、

被告人大島芳夫は右(ロ)の集団行進の際宣伝カーに乗り反対方向から来る自動車などの整理等にあたり、もつて右無許可の集団行進における右各被告人の指導を幇助し、

(二)  右第一の(一)記載のとおり学生ら約六、〇〇〇名が衆議院第一議員会館前路上での集会を終えた後国会議事堂を包囲すべく行進を開始し、午後四時頃前記国会議事堂正門前に到着した。折柄警察部隊が恩給局角から右正門北端に向けて警察輸送車一二輛と広報車八輛を並べて衆議院南通用門に通ずる道路を遮断し、さらに右阻止車輛の北端から右正門北側の植込み付近にかけて警視庁第三方面警察隊世田谷、碑文谷、北沢各大隊および第一機動隊第一、第三中隊所属の警部大蔵栄平ら約五七〇名の警察官が密集して国会議事堂正門からの構内侵入を防止すべく警備についていたところから、進路を阻まれたことを不満とする右多数の学生の間にこれに抗議するため右警察官に集団で突き当たろうとする気運が生じた。

午後四時頃から午後六時頃までの間二〇回位にわたり、各数十名ないし百数十名の学生が六列位の集団を作り、一団となつて右の警察官に突き当たり押したが、その際被告人清水丈夫、同田中学、同鬼塚雄丞、同林紘義、同富永宏、同佐藤侯夫、同浜崎徹、同大島芳夫は、いずれも右突き当たりの学生と意思を通じ、被告人鬼塚、同林、同大島において右の集団のいずれかに参加しその集団の学生らと一緒に右警察官に突き当たり、また右集団の先頭列外にいてこれを警察官の直前まで誘導し、被告人清水、同富永、同浜崎において右の突き当たりをする集団の先頭列外に立つてこれを警察官の直前まで誘導し、またかけ声や手振りで突き当たりを指示し、被告人田中、同佐藤において突き当たりをする集団の隊列を指示し、またその突き当たりをあおり、もつて共同して右警察官の職務の執行を妨害し、

(三)  被告人林紘義は右第一の(一)の(ニ)記載のとおり午後六時頃国会議事堂正門前から東京都千代田区永田町二丁目一番地所在の総理大臣官邸に向け行進を開始した学生集団のうち、最初に行進した明治大学学生の先頭列外に立つてこれを誘導していたが、同官邸通用門附近に近づいた際その門扉が開いていたため門内にはいろうとして右学生らと共に駈け足で通用門に向かつた。折柄国会議事堂方向から官邸に移動中の警視庁第一方面警察隊久松大隊員ら数十名の警察官がその気配を知り、急拠官邸内にはいつて門扉を閉し、内側に密集して右の侵入を阻止する態勢を整えた。そこで被告人は右学生のうちの数十名と意思を通じ、閉ざされた門扉に突き当たつてゆさぶり、午後六時二〇分頃両開きの右通用門門扉を内側に八の字型に押し開き、先頭部分の学生において深さ約二米邸内にはいり、警備警察官によつて再びその門扉がしめられると、午後六時三〇分頃、既に侵入していた多数の学生に続いて単独で通用門西側の塀を乗り越えて深さ一三米位邸内にはいり、もつて総理府内閣総理大臣官房会計課長小林忠雄の管理し看守する総理大臣官邸構内に故なく侵入し、

(四)  被告人浜崎徹は、同日午後六時三〇分頃、右第一の(三)記載のとおり総理大臣官邸通用門の門扉を隔てて警察官と学生が押し合いをしている間、通用門の門柱を乗り越えて構内に飛び込み、もつて総理府内閣総理大臣官房会計課長小林忠雄の管理し看守する総理大臣官邸構内に故なく侵入した。

第二、五月二三日関係

(一)  昭和三五年五月二三日全学連の主催の下に学生ら約七〇〇名が東京都公安委員会の許可を受けないで、前記第一の(一)記載と同様の目的で、(イ)午後二時三〇分頃から午後三時一五分頃までの間前記衆議院第一議員会館前の道路上で集会を開き、(ロ)引続いて午後五時三〇分頃までの間同所から総理大臣官邸前、衆議院南通用門前、大蔵省横、警視庁前、日比谷交叉点、日本劇場横を経て東京都千代田区丸の内二丁目一番地東京駅八重洲口に至る道路上で集団行進を行なつたが、

被告人鬼塚雄丞は右(イ)の集会の際、開会宣言、開会の挨拶、司会をし、もつて右無許可の集会を指導し、

被告人蔵田計成は右(ロ)の集団行進の際終始その先頭列外にあつて行進を誘導し、衆議院第三議員会館前附近で学生らに対し有楽町まで強力なデモを行なう旨指示し、同所ならびに総理大臣官邸前、大蔵省横などでシユプレヒコールの音頭をとり、もつて右無許可の集団行進を指導し、

(二)  右第二の(一)記載のとおり、約七〇〇名の学生らは午後三時一五分頃衆議院第一議員会館前を出発し総理大臣官邸前を経て、国会議事堂正門方向に進むべく六、七列のスクラムを組んで午後四時頃衆議院南通用門前にさしかかつた。折から、右集団行進が東京都公安委員会の許可を受けていなかつたところから、総理大臣官邸前から急拠転進してこれを国会議事堂正門方向へ進ませずに大蔵省方向へ右折させようとした警視庁第四機動隊第二中隊所属の警部星清一ら五九名の警察官は衆議院南通用門と衆議院第二議員会館の角にかけて二列横隊位で阻止線を作り、右集団行進の進路を阻んでいた。ところが前記集団行進の先頭部分はこの阻止線を突破しあくまで国会議事堂正門方向に進もうとして右警察官に突き当たりを試み、これとほぼ同時に数名の警察官が行進中の一名の学生(判示第一事実の被告人林紘義)を通常逮捕すべく学生の間に割り込んだ事情も加わつて、南通用門前交叉点で学生と警察官との間に押し合いの混乱が生じた。そして右第四機動隊第二中隊とこれに続いて総理大臣官邸前から転進した警視庁第四機動隊第一、第三、第四中隊、第五機動隊等所属の警部若林新ら総計約四二〇名の警察官は、学生を大蔵省方向に移動させるべく、密集してこれを一五、六米位押して行き、ごくわずかの間隔を置いて警察官と学生とが対峙する形となつた。このような状況となつた午後四時五分頃右警察官の規制行為や検挙活動に刺戟されていた学生の中に、路上の砕石を警察官に向けて投げる者があり、投石は次第に激しさを増した。そのため警察部隊はこの投石行為を制止する目的をも含めさらに四〇米位大蔵省方向へ前進したが、学生らはこれについて同方向に移動しながらなおも投石を続け、負傷者続出のため警察部隊が南通用門附近まで後退した午後四時一五分頃まで投石を止めなかつた。

被告人中林真一は、右の集会、集団行進に参加していたものであるが、一部の学生が投石を始めると間もなく学生らの中にいて数回自分も警察部隊に向かつて投石し、その後衆議院第三変電所寄りの塀ぎわと同変電所の庭から数回ずつ投石し、もつて右警察官の職務の執行を妨害した。

第三、五月二六日関係

昭和三五年五月二六日全学連の主催の下に学生ら約三、〇〇〇名が東京都公安委員会の許可を受けないで、前記第一の(一)記載と同様の目的で、(イ)午後三時過ぎ頃から午後三時五〇分頃までの間前記衆議院第一議員会館前の道路上で集会を、(ロ)引続いて午後五時三〇分頃までの間国会議事堂をとりまく道路上を一周半して同正門前まで集団行進を、(ハ)午後五時三〇分頃から午後七時頃までの間同正門前で集会を、(ニ)午後七時頃から午後一〇時四〇分頃までの間国会議事堂をとりまく道路上を約二周する集団行進をした後、(ホ)午後一一時四〇分頃までの間同正門前から警視庁前、日比谷交叉点、銀座四丁目交叉点を経て東京都千代田区有楽町二丁目一九番地国電有楽町駅に至る道路上で集団行進をしたが、

被告人田中学、同蔵田計成は共謀のうえ、右(イ)の集会の際被告人田中は開会宣言、司会をし、右(ロ)の集団行進の際被告人田中は終始先頭列外にいて行進を誘導し、右(ハ)の集会の際被告人田中、同蔵田はいずれも座り込みの指示と「岸内閣打倒」「われわれは最後まで戦うぞ」などのシユプレヒコールの音頭とりをし、右(ニ)の集団行進の際被告人田中は午後一〇時頃国会議事堂正門前において最後の一周をするに先立ち「総理大臣官邸と警視庁に行動を起こす」と指示し、被告人蔵田は一周目の参議院第二通用門を経て同第一通用門へ至る間先頭列外で行進を誘導し、右(ホ)の集団行進の際被告人田中は先頭を進んだ宣伝カーに乗つて行進を誘導しまた銀座四丁目交叉点附近で学生らに有楽町方向へ進むよう指示し、被告人蔵田は被告人田中とともに宣伝カーに乗つて行進を誘導したほか警視庁前でシユプレヒコールの音頭とりをし、もつて右無許可の集会、集団行進を指導した。

第四、六月三日関係

(一)  昭和三五年六月三日全学連の主催の下に学生ら約三、〇〇〇名が東京都公安委員会の許可を受けないで、判示第一の(一)記載と同様の目的ならびに翌六月四日に予定されていた総評のゼネストに支援を与える目的で、(イ)午後三時一五分頃から午後三時四〇分頃までの間前記衆議院第一議員会館前の道路上で集会を、(ロ)引続いて同所から参議院第二通用門前、国会議事堂正門前を経て前記総理大臣官邸前に至る道路上で集団行進を、(ハ)午後四時二〇分頃から午後六時三〇分頃までの間右総理大臣官邸前の道路上で集団示威運動(午後四時二〇分頃から午後四時一五分頃までおよび午後六時頃から午後六時三〇分頃までの間)および集会(午後四時一五分頃から午後六時頃までの間)を行なつたが、

被告人田中学、同富永宏は共謀のうえ、右(イ)の集会の際被告人田中は開会宣言、開会の挨拶、司会を、被告人富永は全学連の代表者として当日の行動の意義や方針について演説をし、右(ロ)の集団行進の際出発にあたり被告人田中は自治会別に行進の順序を指示し、被告人富永は隊列の組み方を指示し、行進中は両名とも先頭を進んだ宣伝カーに乗つて行進を誘導し、右(ハ)の午後四時一五分頃までの集団示威運動の際被告人田中、同富永はこもごも「徹底した行動をとれ」と呼びかけ、被告人田中は「安保粉砕」「岸を倒せ」などのシユプレヒコールの音頭とりをし、集会の際被告人両名はいずれも隊形の組み直しと座り込みの指示、開会宣言、挨拶を行ない、もつて右無許可の集会、集団行進ならびに集団示威運動を指導し、

(二)  右第四の(一)記載のとおり、午後三時四〇分頃衆議院第一議員会館前を出発した約三、〇〇〇名の学生らは午後四時二〇分頃前記総理大臣官邸の正門前に到着した。そして直ちに、被告人富永宏、同星野中、同早川繁雄、同井村友彦を含むそのうちの一〇〇名位が、構内への侵入を図り、施錠してあつて門内の方に向かつてしか開かないようになつている正門の門扉にロープをかけてこれを逆に外側に向けて引き始め、午後四時四〇分頃までにその引き開けを終えると、続いて被告人田中学も加わり正門門扉の内側に配置してあつた警察輸送車の引き出しを行なつた。

被告人田中学、同富永宏、同星野中、同早川繁雄、同関勇、同井村友彦は、右のようにして構内への侵入口が作られた午後四時五〇分頃から午後五時過ぎ頃までの間にほか数十名の学生と意思を相通じて共同して右正門から構内に深さ一五メートル位侵入し、もつて総理府内閣総理大臣官房会計課長小林忠雄の管理し看守する総理大臣官邸構内に故なく侵入し、

(三)  被告人関勇は同日午後四時二〇分頃から午後四時五〇分頃までの間、折柄右第四の(二)記載のとおり前記総理大臣官邸構内への侵入を企図する学生を阻止するため同正門門扉内の南側寄りに整列して警備についていた警視庁第二方面警察隊荏原大隊第一中隊所属の警部常世田溜吉ら八二名の警察官に対し、右正門の門扉附近からプラカードの柄などを投げつけ、もつて右警察官の職務の執行を妨害し、

(四)  被告人田中学、同富永宏、同西部邁は同日午後六時頃から午後六時三〇分頃までの間、右第四の(一)(ハ)の集会に参加していた多数の学生と共謀のうえ、折柄前記総理大臣官邸の正門附近で、構内への侵入を阻止するため密集して警備についていた警視庁第四機動隊所属の警部若林新ら約二四〇名の警察官に対し、五回位にわたり、各数十名ないし百数十名の集団を作つて一団となつて突き当り、押し、もつて右警察官の職務の執行を妨害した。

(証拠の標目)(略)

(弁護人の主張に対する判断)

一、公訴棄却の主張について

(一)(1)  弁護人は、本件起訴状に記載されている被告人らの各行為は、憲法第一二条前段、第一一条、第九七条に定められた抵抗権の行使であることが明らかであり、何ら罪とならないから刑事訴訟法第三三九条第二号により公訴を棄却すべきである。すなわち、日米新安保条約は中国およびソヴイエトを仮装敵国とし、米国との間に相互防衛義務を定めた軍事同盟条約であつて、極東における戦争の危機を深め、日本を戦争に巻き込む危険をはらみ、さらに米国に対し基地貸与を認めることにより国民に不利益を蒙らせるなど、一見極めて明白に憲法の平和主義、民主主義、基本的人権尊重主義に反する。しかも昭和三五年五月一九、二〇日には岸内閣および自由民主党は、警察官五〇〇名を国会内に導入して野党議員を実力で排除し、与党主流派議員のみで会期を延長し、右新安保条約を承認するという憲法の議会主義をふみにじる暴挙に出た。被告人らはかかる事態に直面し、憲法に違反する右新安保条約の成立を阻止し、議会主義を擁護するため本件各行為を行なうに至つたものであつて、憲法第一一条、第九七条に謳われている抵抗権を右の悪政、暴政に対して行使し、憲法第一二条前段が国民に課している抵抗の義務を履行したものである、と主張する。

(2)  弁護人の主張する抵抗権がいかなる意味において犯罪の成立を阻却するにせよ、それは一定の事実に立脚して初めて判断することのできる法的評価であるから、まずもつてその基礎となる事実を確定することを必要とする。しかるに当裁判所が審理を遂げた結果、既に認定し得た判示各事実によつては後に説示するとおり弁護人の主張する犯罪阻却事由はすべて認められないとの結論に達し、また無罪を言渡した部分については審理の結果、外形的にも犯罪構成要件に該当する具体的事実の存在を証明するに足りる証拠がないとしたのであるから、弁護人の右主張はすべて採用できないというほかはない。

(二)(1)  次に弁護人は、検察権の行使は厳正かつ公平に行なわれるべきであり、政治的圧力によつて左右されてはならないのに、本件においては、前記(一)(1)のとおり国民の意思を代表し、かつ正当な権利行使であつた被告人らの行為を起訴することにより、政府、与党の利益にのみ奉仕した。これは「公益の代表者」(検察庁法第四条)たる地位を自ら放棄したものであつて、その公訴提起は違法というべく、刑事訴訟法第三三八条第四号に則り公訴を棄却すべきである、と主張する。

(2)  公訴の提起が法の適正な手続(憲法第三一条)の中で特に重要な部分を占めるものであることならびに検察官は社会秩序の維持という見地から公益を代表して公訴提起の権限を行使すべきものであること(検察庁法第四条参照)に鑑みれば、一見適法に公訴が提起されていても、それが起訴便宜主義の原則(刑事訴訟法第二四八条)に明白に背反していたり、あるいは乱用にわたつているときは不適法といわなければならない。しかしながら本件被告人らの各行為は、当裁判所が事実審理を遂げた結果によれば、その動機、目的もしくは遠因において安保条約の改定阻止および国会の正常化という政治的な意思、主張の表現をしようとする国民として当然憲法上許された面を持つ反面、その手段においては判示認定事実に徴する限り何としても表現の自由の範囲を逸脱し、法律的に裏打ちされている現存の社会秩序の通念に違反する行動となるに至つている面を伴つていることを否定し難く、これにつき検察官が公訴を提起したことはなんら不当とはいい難く、その他本件公訴提起が起訴便宜主義の原則に明白に背反しもしくは本来の目的と異なる意図をもつてなされたと認められるべき点は存在しないから、弁護人の主張は採用することができない。

二、判示第一の(一)、第二の(一)、第三、第四の(一)の東京都条例第四四号集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例(以下単に都条例または本件条例と略称する)第一条、第五条違反の点の主張について、

(一)  憲法第二一条違反の主張

(1) 弁護人は、都条例は、集会、集団行進および集団示威運動(以下集団行動と総称する)に対する規制の方法、程度において不当に思想表現の自由を侵害するから憲法第二一条に違反する、と主張する。

(2) 以下都条例違反の点に関する弁護人のいくつかの主張を判断するにあたり、当裁判所が一貫して特に留意したのは、すでに昭和三五年七月二〇日本件条例が憲法第二一条に違反しないとした最高裁判所(以下最高裁と略称する)の判決が存在することである。特定の事件についてなされた右最高裁の判断がその事件を離れて一般的に下級審裁判所を拘束すると解すべき法律上の根拠はないが、現行裁判制度が最高裁を頂点とする審級制度を採用していることに鑑み、かつまたかゝる制度によつて法的安定性の確保が図られていると解すべき見地から、当該問題について最高裁の解釈が下された以上、下級審裁判所はこれと異なる判断をしなければならない特段の事情が生じていない限りその判断はこれを十分に尊重すべきであると考える。

このような立場から弁護人の主張(一)(1)を検討するに、昭和三五年七月二〇日の最高裁判決は、原審が本件条例第一条、第三条第一項但書、第五条が憲法第二一条に違反するとしてかかげた論拠をすべてしりぞけ、同条項自体を違憲とするのは失当であると判示している。従つて同条項が当然には憲法第二一条に違反しないという結論は、右判決によつて示されたというべきであるから、この判断と相容れない弁護人の右主張は、これを採用できない。

(二)  憲法第三一条違反の主張(その一)

(1) 弁護人は、都条例は憲法第二一条の自由の行使である集団行動に対し規制を加え、かつその違反に対し刑罰を定めているが、地方議会の立法である条例に思想表現の自由を制限する刑罰規定を設けることは、憲法第三一条に違反する、と主張する。

(2) しかしながら、憲法第九四条は地方公共団体は法律の範囲内で条例を制定することができる旨規定しているから、地方公共団体が法律の定める制定手続と規定事項に違反せず、法律と矛盾しない内容である限りにおいて条例を制定できることは明らかである。一方、地方自治法は、第一四条第一項で、「普通地方公共団体は、法令に違反しない限りにおいて第二条第二項の事務に関し、条例を制定することができる。」と規定し、第二条第二項では、「普通地方公共団体は、その公共事務及び法律又はこれに基く政令により普通地方公共団体に属するものの外、その区域内におけるその他の行政事務で国の事務に属しないものを処理する。」と定め、さらに第二条第三項で同条第二項の事務を例示している中に、「地方公共の秩序を維持し、住民及び滞在者の安全、健康及び福祉を保持すること」という規定を掲げているのである。本件条例による集会、集団行進および集団示威運動に対する規制が右の例示された事項に関するものであることはいうまでもなく、また現在同一事項について法律は存在しないから、東京都が右事項について本件条例を定めたことは違法とはいえない。

次に本件条例が罰則を設けている点について検討するに、憲法第三一条は「何人も、法律の定める手続によらなければ………刑罰を科せられない」と定めているが、前記のとおり条例は憲法第九四条によつて認められた法形式であつて法律の範囲内で広く制定されうるものであるし、政令とは異なり地方公共団体の議会が定める民主的立法であるから、その実効性を保障するためこれに罰則を設けることを法律が包括的に授権しても、右憲法第三一条の精神に違反するとは解されない。従つて条例に罰則を付加することを包括的に委任している地方自治法第一四条第五項および同条の委任する範囲内で罰則を定めている本件条例第五条はともに憲法第三一条に違反しないというべきである。

このように条例によつて集会、集団行進および集団示威運動を規制することならびに条例中に罰則を設けることが憲法に違反しない以上、本件条例が右集団行動を罰則をもつて規制していることもまた憲法に違反するとはいえない。結局弁護人のこの点の主張も採用できない。

(三)  憲法第三一条違反の主張(その二)

(1) 次に弁護人は、昭和三五年七月二〇日の最高裁判決によれば、都条例は「その実質において届出制とことなるところがない」とされている。もし同条例第五条が、最高裁判決のいうように届出義務違反に対する罰則を定めたものとすれば、届出義務の懈怠という違法行為が存在するというだけの理由で、集会、集団行進または集団示威運動の態様、手段、目的の如何を問わずに、指導者、煽動者の指導、煽動行為は違法とみなされ、現行犯逮捕されたり処罰されることとなるのである。このような刑事立法は国民の自由の保障という角度からみてその限界を超え、憲法第三一条が定めている罪刑法定主義に反する、と主張する。

(2) 本件条例がそれ自体憲法第二一条に違反しないとしても、特定の事実関係に対し本件条例中のある条項を適用することが違憲となる場合は、その適用を排除すべきであるし、排除できることは当然である。殊に罰則を定めている同条例第五条に関しては、憲法第三一条の立て前からみて、刑罰を科する根拠を見出し難い部分があるとすればその部分を解釈上除かなければならないことはいうまでもない。前記昭和三五年七月二〇日の最高裁判決は、このような個々の規定の解釈に明確には立ち入つていないから、以下右の主張に関連する限度で当裁判所の判断を示すこととする。

都条例第五条にいう、第一条の規定に違反して行なわれた集団行動には、本件のように敢えて許可申請そのものを為さなかつた(その結果として当然のことであるが許可、不許可のいずれも為されようがない)もののほかに、許可申請をしたが第三条第一項にいわゆる「公共の安寧を保持する上に直接危険を及ぼすと明らかに認められる場合」であつたため公安委員から不許可とされたものが含まれる。後者の集団行動は公安委員会の判断が正当であればそれ自体違法となるから指導者を処罰する規定の根拠は明らかであるが、前者の集団行動について指導者を処罰する規定はいかなる実質的な理由に基いて設けられたものであるか、その窮極の根拠は、許可がないという点に求めるべきか、もしくは許可申請がないことに求めるべきかは問題であろう。そこでこの点を解明するため都条例にいうところの『許可』および『許可申請』が、如何なる意味内容を持つかを考察しなければならないこととなる。

さて都条例第一条、第二条には『許可』とか、『許可申請』とかいう用語が用いられている。ところで従来一般に行政法学上用いられている許可の概念とされているところに従つて右の『許可』を解すると、集団行動が本来禁止されていることを前提とし、この禁止を解除する行政処分だと解されることとなろう。しかしながら右の『許可申請』ないし『許可』の対象とされているところのものは、「道路その他公共の場所で行なう集会もしくは集団行進および場所の如何を問わない集団示威運動」(都条例第一条)であつて極めて広い範囲の集団行動であること、従つてそれは「時に昂奮、激昂の渦中に巻きこまれ、甚だしい場合には一瞬にして暴徒と化し勢いの赴くところ実力によつて法と秩序を蹂躙」する危険を持つものもありうると共に、そのような危険を持つとはおよそ考えられない種類のものをも含むと考えなければならないこと、他面、集団行動そのものは、それが「平穏に秩序を重んじてなさ」れる限り憲法で保障する思想表現の自由の行使として国政上最大限の尊重を払わるべきものであることを顧れば、都条例中の『許可』の文言を従来行政法学上解されているところの許可の概念に従つて解することは妥当でないと言わなければならない。

そもそも東京都条例に関する昭和三五年七月二〇日最高裁判所大法廷判決(刑集一四巻九号一二四三頁以下)の判決理由中に「今本条例を検討するに、集団行動に関しては、公安委員会の許可が要求されている(一条)。しかし公安委員会は集団行動の実施が『公共の安寧を保持する上に直接危険を及ぼすと明らかに認められる場合』の外はこれを許可しなければならない(三条)。すなわち許可が義務づけられており、不許可の場合が厳格に制限されている。従つて本条例は規定の文面上では許可制を採用しているが、この許可制はその実質において届出制とことなるところがない。集団行動の条件が許可であれ届出であれ、要はそれによつて表現の自由が不当に制限されることにならなければ差支えないのである。」と説かれている。こゝに右判文は右条例が「文面上では許可制を採用しているが、この許可制はその実質において届出制とことなるところがない。」と説いてはいるものの、そうして成程右判文がいうように「許可が義務づけられており、不許可の場合が厳格に制限されている」にしても、条例一条の文面を全く無視することは許されず、やはり右条例はいわゆる許可制の範疇に属するものとして一応受け取るほかなく、右の文言を無視して純粋の意味の届出制をとつているものと解することは無理であろう。さればこそ、右条例の実質を顧みてこれを届出制にできるだけ近づけて解するにしても、右判文が「その実質において届出制とことなるところがない」というふうに表現する以上には出られないのであつて、右条例を目して一挙に「形式的にも届出制をとるもの」とまで解し去ることは到底不可能なのである。すなわち右判文が如何に表現において苦心を払おうとも条例の文面を無視し得ない限り右条例は、形式的にはもとよりのこと、実質的にも許可制の範疇に属するものであると見るのが卒直な解釈であろう。ただ、それならば右条例はいわゆる純粋な許可制をとるものと解してよいかといえば、それも亦正当でないといわなければならない。なぜなら条例第三条は、右に引用した大法廷判決も説いているように「公安委員会は集団行動の実施が『公共の安寧秩序を保持する上に直接危険を及ぼすと明らかに認められる場合』の外はこれを許可しなければならない」としている点に辛じて右判文の説く「義務づけられた許可」という実質を見出だすことができるのであつて、この線に沿つて右条例の運用が厳正に為されることを期待しうる途が示されている限り、たとい右条例が卒直に見ていわゆる許可制の範疇に属するものであろうとも、違憲の条例であるとの結論を回避しうるものといえよう。このように見て来て始めて右大法廷判決の判文が「条例の定める集団行動に関して要求される条件が『許可』を得ることまたは『届出』をすることのいずれであるかというような概念乃至用語のみによつて判断すべきでない」と説き、また「要はそれによつて表現の自由が不当に制限されることにならなければ差支えないのである」と説く所以が首尾一貫して理解されることとなろう。これと共にこのように理解の歩を進める限り、本条例の『許可』というところのものも、従来の行政法学上の許可の概念とされているところの「本来禁止されているところのものについてその禁止を解除する行政処分」とは著しく趣を異にする内容のものとして理解しなければならないこととなる。一体、集団行動を構成する個々の構成員は国民個人々々であつても、集団を形成する限り、それは現実には個人の行動とは異なつた、個人を超えた独特の行動を展開することとなるため、国民各個人については特に事前の規整を施す必要のない思想表現の自由も、集団として行使される場合には公共の安寧秩序を保持する面から適当な規整を施すことを免れないこととなるべく、その規整措置として本条例の規定するように『許可申請』というものを経由させ、この点の検討を加える必要ありとされることも亦やむを得ないものがあろう。しかしながら、既に考えたように事の実質が、その集団の構成員個人々々にとつての場合は最大限に尊重さるべき思想表現の自由に関することであるから、前記大法廷判決も説くように、この規整にあたつては「集団行動の実施が『公共の安寧を保持する上に直接危険を及ぼすと明らかに認められる場合』の外はこれを許可しなければならない」というふうに厳正に規整が実施されなければならないのである。このようなものとしての条例第二条の規定する『許可申請』は、これを従来の行政法学上の概念に照らし合わせて考えると、その実質において、いわゆる「許可申請」というには程遠く、むしろいわゆる「届出」にちかく、ただ公安委員会は条例第二条の『許可申請』に接してその対象とされている集団行動につき右の点の規整を為す機会を得て、当該集団行動が果して「公共の安寧秩序を保持する上に直接危険を及ぼすと明らかに認められる場合」であるか否かを検討し、右が肯定されれば、ここに始めて後に詳述するようにこれを禁止しうることとなる点で、ついにいわゆる届出制の範疇に属するものとはなし難いのみである。従つてまた条例第一条に規定する『許可』というところのものも、右の『許可申請』を経由するについての対象とされている集団行動に右の直接かつ明白な危険のなかるべきことを確認する行為であると解するを妥当とすべきだと考える。かくして集団行動が多衆によつて行われたところから一般人の交通その他の自由な行動に影響を及ぼすおそれがあるうえ、前記最高裁判決の判文が特に強調しているように「本来平穏に、秩序を重んじてなされるべき純粋なる表現の自由の行使の範囲を逸脱し、静ひつを乱し、暴力に発展する危険性のある物理的力を内包している」場合もないとはいえないところから、すべて集団行動については事前にその場所、方法などを明らかにして『許可申請』を経由させ、不慮の事態に備え適切な措置を講じうるようにし、もつて万一にも「表現の自由を口実にして集団行動により平和と秩序を破壊する」など「公共の安寧を保持する上に直接危険を及ぼす」ことが明らかに認められた場合には第三条第一項によりこれを不許可とし、その他のものについても同項但書により公共の福祉と調和するに必要な条件を付する機会を公安委員会に与える必要ありとしたものと解される。

すなわち条例にいうところの『許可申請』および『許可』について以上のように解して誤りないとすれば、『不許可』というところのものも『許可申請』を経由させて右の点を検討する機会を持ち前記のような危険の明らかに認められる特定の集団行動につき「公共の安寧を保持する」ためこれを禁止する処分であり、また『条件を付する』ということも、右の『不許可』と同様、特定の集団行動の場所もしくは方法などの一部について右と同様の理由からこれを禁止する処分であると解すべきこととなる。

このように見てくれば、右のような『許可』ないし『不許可』あるいは『条件付与』のような処分を招来すべき『許可申請』を経由する行為は、都条例が憲法によつて許容される範囲内で集団行動を規整せんとする目的を達成するにつき重要不可欠の機能を果す契機をなすものといわざるを得ない。かくして、『許可申請』が経由されなかつた集団行動について被告人ら指導者が罰せられる理由は、条例がかかる『許可申請』の経由を合憲に要求しているにもかかわらず、この『許可申請』を敢えて経由しなかつたという点に求められることとなると考える。

ところで、条例第五条は、主催者、指導者、煽動者を処罰の対象としている。このうち『許可申請』を経由すべき義務を負うと認められるのは、主催者のみであつて、指導者、煽動者にこれを認めることは困難である。それでは指導者、煽動者はいかなる義務違反によつて処罰されたのであろうか。思うに、『許可申請』が経由されなかつた集団行動には、二つの類型を区別することができる。すなわちその第一の類型は、『許可申請』を経由すれば当然許可されていたであろう集団行動であり、その第二の類型は『許可申請』を経由しても適法に禁止(不許可)されたであろう集団行動である。上来説示のとおり第二の型の集団行動を事前に予知し、公安委員会にこれを禁止する機会を得させるところに『許可申請』の重要な機能を認めるべきだとするならば、これなくして実施された集団行動から生ずるかも知れない危険を防止するため、『許可申請』を経由しない集団行動を指導し煽動する行為を禁止しその義務違反に対し制裁を科することは、必ずしも不合理とはいえず、かえつて、『許可申請』を経由したのにかかわらず事前に禁止(不許可)された集団行動を指導し煽動した者が当然処罰されうることと対比して権衡を保つ所以でもあろう。結局右の規定は、『許可申請』を経由しない集団行動について、かかる敢えて『許可申請』を経由しようとしない集団行動が「公共の安寧」を侵害する危険をはらんでいる点に着目し、これを法秩序上是認することなく違法性ある行為として違法類型に取り上げて規定する(条例第五条、第一条により『許可申請』を経由しないで為した集団行動の主催者を処罰する規定)と共にかかる違法性ある集団行動を指導し煽動することをも禁止する規範を定立し、その義務違反を処罰する抽象的危険犯(許可申請を経由しなかつたが、敢行された集団行動が秩序を害することなく平穏に為された場合は、殆ど形式犯に接近する)であると解されるのである。そうして、右の第二の類型に属する集団行動と第一の類型に属する集団行動とは概念上は区別できるものの、いずれも『許可申請』を経由していないで敢えて為される限り、果してその集団行動が公共の安寧を害する直接にして明白な危険を有するか否かを事前に検討する機会を奪つた点において両者を区別する理由がなく、かつその集団行動についてもし事前に検討すれば許可されたか、もしくは不許可(禁止)とされたかを事後の審査で判別することは著るしく困難な場合もありうるから、ひとしく『許可申請』を経由しないで敢行した集団行動の主催者のほか、かかる集団行動の指導者、煽動者を対象とした処罰規定を設けることもまたやむを得ない次第であろう。以上の理由により、『許可申請』を経由しない集団行動の指導者を処罰する第五条の規定が憲法第三一条に違反するとの弁護人の主張は、採用できない。

なお弁護人が明らかに主張しているところではないが、以上の問題と関連し、指導者、煽動者に以上のような意味で違法な行為が認められる場合にそれに対し第五条が一年以下の懲役もしくは禁錮又は五万円以下の罰金を科しているのは重きに過ぎ、憲法第三一条に違反するのではないかとの疑問について一言する。集団行動についてもし純粋に届出だけを要求し、これに対し禁止もしくは条件の付与を禁ずるいわゆる純粋な届出制を取りながら右のような規定が設けられたとすれば、右の点は問題となりうるであろう。しかしながら本件条例のように集団行動について『許可申請』を経由することを要求し、事前に公共の安寧を保持するため必要最少限度の規整を加えることが合憲として許されると解されうる法制の下では、(1)まず第一に「公共の安寧を保持する上に直接危険を及ぼすと明らかに認められ」たため禁止された集団行動を禁止に反して敢えて実施した主催者もしくはかかる集団行動を指導し煽動した者を処罰対象としてこれらの者に対し、右の程度の罰則を設けてもその義務違反の程度に比して不当に苛酷であるとはいえない。(2)次に第二に『許可申請』がなされても当然禁止されたであろう前記第二類型に属するものは、その実質において(1)の事前に禁止された集団行動を敢えて行つた主催者らと同等の違法性を有していると認められるから、これに対し右の(1)の場合と同等の刑罰規定を設けることも不当ではないであろう。(3)そこで第三に、『許可申請』を経由しなかつた集団行動のうち、申請があれば許可されたであろう前記の第一類型に属するものについても規定上は右の(1)(2)と同じ罰則が適用されることとはなるが、これと(2)で述べた公共の安寧に直接危険を及ぼすことの明らかな第二類型のものとを行動実施前にたちかえつて事後に判別することが前記のとおり著るしく困難である以上(2)とは別箇の構成要件ならびに刑罰を定めていなくても、不当とはいい難く結局規定上はこれら(1)(2)(3)を一律に取り扱い、ただ量刑の面で条例第五条の規定上事案の内容に応じ緩厳の節度を誤ることがないよう十分に具体的妥当性を図りうる裁量範囲が存在している以上、前記規定を目して憲法第三一条に反するものとはなし難い。

(四)  公安委員会の運用が違憲であるとの主張

(1) 弁護人は、本件当時東京都公安委員会の都条例の具体的運用状況をみるに、国会の会期中であるとして国会議事堂を取りまく道路を一周しまたは包囲する形の集団行動は不許可とし、右周辺における集団行動のうち許可されたものには、プラカードを持つこと、隊列を組むこと、歌を歌うこと、大声を出すことをすべて禁止するなど、手かせ足かせの条件を付していた。このような運用は憲法第二一条の思想表現の自由を不当に制限するほか憲法前文第一条に謳われている国民主権の原則にも牴触している。すなわち「国政は国民の厳粛なる信託による」(憲法前文)のであるから、国会は常に国民の意思を反映するよう運営されなければならない。国民は選挙によつて国政を全部白紙委任するのではなく、選挙後も常に議員を監視しなければならない。

国民はそのために、次の選挙に投票しないという消極的コントロールの権利だけでなく、いつでも批判し反省を求める意思表示をするという積極的な権利を有する。このような意思表示の手段としては集団行動が最も有効であるから国会の会期中といえども国会周辺でこれを行なうことを禁止することは、民主政治の保障を奪うものである。本件当時のように民主政治、憲法秩序が危殆に頻した緊急事態にあつては、特に国会周辺での集団行動は許されるべきであるのに、公安委員会が一般的にこれを不許可とする方針をとつたことは、まさしく憲法第二一条の自由を侵したといわざるを得ない。全学連では五月二〇日以前に国会議事堂を取りまく道路上での集団行動を申請して拒否された経験を持ち、その経緯に照らして、本件集団行動も到底許可されないことが予め判つていたため、申請をしなかつたのである、と主張する。

(2) 本件条例が憲法第二一条に違反しないと判示した前記昭和三五年七月二〇日の最高裁判決は、他方公安委員会の運用に警告を発し、「本条例といえども、その運用の如何によつては憲法二一条の保障する表現の自由の保障を侵す危険を絶対に包蔵しないとはいえない。条例の運用にあたる公安委員会が権限を濫用し、公共の安寧の保持を口実にして、平穏で秩序ある集団行動まで抑圧することのないよう極力戒心すべきこともちろんである」と述べている。本条例は前説示のとおり事前に集団行動を禁止しもしくはこれに条件を付与するという重大な権限を公安委員会に委ねているのであるが、その権限は本条例の目的を達成するに必要な限度でかつ憲法の許容する限度で認められたものであることはいうまでもないから、万一公安委員会が権限を濫用しもしくは裁量を誤つて許可すべきものを不許可とし、付することの許されない条件を付した場合には覊束裁量の限界を逸脱したものとしてその処分の法的効力は否定され、これに従わなかつた被告人の刑事責任は問い得ないものと解される。

ところで被告人らが指導した本件各集団行動がいずれも許可申請を経由しなかつた事案であること、および集団行動についてこの許可申請の経由を確実に行なわせることが本件条例において重要な機能を有するものと解すべきことは、すでに(四)(2)で考察したところである。してみれば、かりに弁護人が主張するとおり、当時公安委員会が本件集団行動の許可申請に対し確実に不許可としたと予想されるような運用を行なつており、かつそのような公安委員会の運用が違法であるとしても、なお許可申請自体はその後の公安委員会の処分の如何にかかわらずなされるべきであつたし、なされ得たのであるから、許可申請を経由しない集団行動を指導したという点において被告人らは責任を免れないというべきである。すなわち、弁護人の右主張は、条例の要求するところに従い許可申請手続を経由したにもかかわらず不許可とされた事案については意味があるけれども、それとは事案を異にする本件においては右の主張は失当だといわざるを得ない。もつとも公安委員会が許可申請そのものを受理しないとの態度に出た場合は、申請義務の懈怠はないこととなるが、本件当時右のような事情が存在したと認むべき証拠はないから、結局弁護人の主張はその余の点を判断するまでもなく失当である。

(五)  本件には許可申請の義務は及ばないとの主張

(1) 弁護人は、本件各集団行動には都条例第二条の定める許可申請義務は及ばない。同条は、集団行動を行なう日時の七二時間前までに主催者は許可の申請をしなければならないと規定するが、この規定は緊急に行う必要のあつた集団行動には適用されない。本件中五月二〇日の行動(判示第一の(一))は五月一九日夜半に突如として生じた政治的非常事態に対処する必要から急拠行なわれたものであつて、このような場合にまで都条例は七二時間前の許可申請を要求していない。またそれ以後六月三日に至る行動(判示第二の(一)、第三、第四の(一))も刻々と変動する政治情勢に対応してなされたもので、予め七二時間前に計画し許可申請することは不可能であつたから、前同様これらにつき許可申請義務はない、と主張する。

(2) 判示第一の(一)の事実については、被告人田中学(第二五回)、同清水丈夫(第二七回)の当公判廷における各供述、押収してある「全学連第二四回緊急中央委員会招請状」一枚(昭和三五年証第一八七六号の九)、「全学連第二四回中央委員会議案」二枚(同証号の一〇)緑会委員会の「安保斗争ニユースNo.7」一枚(同証号の六)、東大中央委員会の五月一六日付および同月一九日付のビラ各一枚(同証号の七および一一)、理学部自治委員会の五月一七日付のビラ一枚(同証号の八)、判示第二の(一)の事実については、被告人蔵田計成の当公判廷(第二四回)における供述、押収してある五月二一日付「全学連書記局通達」一枚(同証号の三四)、判示第三の事実については、被告人田中学の当公判廷(第二八回)における供述、押収してある五月二一日付「全学連書記局通達」一枚(同証号の三四)、判示第四の(一)の事実については、押収してある五月二九日付「全学連書記局通達No.8」一枚(同証号の三〇)、五月三一日付「全学連書記局通達No.9」一枚(同証号の二九)、東大中央委員会の五月三一日付のビラ一枚(同証号の三三)を各総合すれば、

五月二〇日に行なわれた判示第一の(一)の集団行動は、五月一五日に開催された全学連第二四回中央委員会において新安保条約の批准をめぐる政治情勢を検討した結果、五月一九、二〇日頃には政府および自由民主党が特別委員会の審議を打切りあるいは大巾に会期延長を強行して極めて緊迫した情勢に入るものと判断し、五月二〇日を全学連の統一行動日として激しい国会包囲デモを行なうことを決定しその旨を傘下各大学自治会を通じて学生に呼びかけていたこと、五月二三日に行なわれた判示第二の(一)の集団行動は五月二〇日の右集団行動を終えた後全学連書記局で協議した結果、五月二六日の統一行動までのつなぎの意味で行なうことを決定し、五月二一日には全学連書記局からその旨の通達を出していること、五月二六日に行なわれた判示第三の集団行動は、五月二〇日頃すでに全国的な統一行動の一環として行なうことが決定されており、その頃全学連書記局から傘下各大学自治会に通達していたこと、六月三日に行なわれた判示第四の(一)の集団行動は、遅くとも五月二九日までに決定され、その頃全学連書記局から傘下各大学自治会にその旨通達していたことがそれぞれ認定できる。

右の事実に徴すれば、五月二〇日、五月二六日、六月三日の各集団行動については、それらが実施された七二時間前にすでに決定され傘下各大学自治会を通じ学生に呼びかけられていたのであるから、これについて都条例第二条所定の許可申請はできたものといわざるを得ず、弁護人の主張は前提を欠き採用できない。

次に五月二三日の集団行動については、全学連書記局がその実施を決定したのは前認定のとおり五月二〇日もしくは二一日であるから、実施日時までに七二時間の余裕がなかつた可能性がある。しかしながら前記証拠によれば、右の集団行動について許可申請をしなかつたのは、実施日時まで七二時間の余裕がなかつたからではなく、そもそも許可申請をする意思が全くなかつたからであると認めるほかなく、もしその意思があれば右の実施日時の七二時間前に行動計画を立てて許可申請をなし得た状況であつたというべきであるから、この点についても弁護人の主張は失当である。

三、判示第一の(二)、第二の(二)の公務執行妨害の点の主張について

(1)  弁護人は、都条例第四条が右の二記載の理由から違憲である以上、それを根拠規定とする本件警察官の公務は不適法である、と主張する。

(2)  判示第一の(二)における警察官の職務は、前記認定のとおり、都条例第四条による制止行為というよりはむしろ国会構内への侵入を防止するための警備活動というべきであつた。また判示第二の(二)においては、前記認定のとおり、相当多数の学生から投石がなされた結果警察官に負傷者が生じその後も投石が繰り返えされていたのであるから、かかる事態を放置すれば負傷者が続出する危れがあり急を要する場合であつたことは明らかであるというべく、従つて都条例第四条のみならず警察官等職務執行法第五条によつても適法にこれを制止できる筋合いであつた。

しかしながら右第二の(二)の職務は、都条例第四条による制止行為としての性格をも併せ有しているから、この点についての弁護人の主張を検討してみると、前記二、(三)(2)で説示したとおり、単に許可申請がなかつたという事実によつて集団行動それ自体が違法となるわけではないから、これが開始されただけで直ちに禁圧することは許されない。同条が、「公共の秩序を保持するため、警告を発しその行為を制止しその他その違反行為を是正するにつき必要な限度において所要の措置をとることができる」と規定しているのは、右の理を前提とし、その集団行動が公共の秩序を害する危険を生ぜしめた場合に、これを防止するに必要な限度において所要の措置を取りうることを定めたものと解されるのであつて、公共の秩序を維持すべき警察官に対し右の程度の権限を付与することは必ずしも憲法に違反するものではない。そうして本件における学生らの行動状況およびこれに対処した警察官の行動を仔細に検討するとき判示のような警察官の職務行為が右都条例第四条の認める範囲を逸脱していたものとはいい難いから、結局弁護人の主張は理由がないこととなる。

四、判示各行為の違法性もしくは責任阻却事由の主張について

(一)  弁護人の主張の要旨

(1) 正当防衛の主張

本件各行為は正当防衛に該当する。すなわち新安保条約そのものが憲法の平和主義の原則に対する一見極めて明白な危険であり、この危険は本件当時右条約が国会の承認の段階まで進行することによつて現実化していた。また五月一九、二〇日に行なわれた右条約の承認と会期延長の強行採決は、議会主義、民主主義に対する明白かつ現実の侵害であつた。被告人らは右新安保条約の成立を阻止し、国会を正常な形にもどそうとの防衛意思に基いて本件各行為に出たものであり、それらは社会秩序に合致し相当性のある行為であつた。詳言すれば、

(イ) 新安保条約は日米軍事同盟であつて憲法の平和主義に全く背反する。すなわちその第五条第一項により日本は米国との間に相互防衛義務を負う結果、在日米軍が他国と武力衝突した場合日本は自動的にこの紛争に巻き込まれることとなり、ミサイル戦争の危機が迫る現況下にあつて自ら禍を招くものである。また第三条は武力攻撃に抵抗する能力を維持し発展させることを規定しているが、これは日本における再軍備の強化と軍国主義国家としての自立を意味するにほかならず、一切の戦争放棄、一切の戦力不保持を謳つた憲法第九条を踏みにじるものである。さらに前文、第四条、第六条は直接日本の自衛と関係のない領域たる極東における平和と安全を維持するための諸規定である。自衛のための戦力すら放棄した日本が、範囲のあいまいな極東地域において軍事的チヤンピオンたらんとすることは、自ら戦争の種を蒔くものであつて憲法の精神に反する。

(ロ) 五月一九、二〇日になした新安保条約の強行採決は違憲である。すなわち第一に安保特別委員会では委員総立ちの混乱状態の中で速記録も空白の状況下で採決したのであつて、衆議院規則第五〇条による表決の要件を欠き不存在、無効の表決であつた。第二に衆議院の慣例に反して議院運営委員会にかけていない。第三に不存在、無効の委員会の議決に基き、これを内容とする委員長の報告どおりに採決した本会議の議決は当然無効である。さらに第四に本会議場に警察官を導入して社会党議員を暴力によつて排除し採決を強行した。これは単なる当不当の問題を超え、憲法の根本原則たる民主主義、議会主義を真向うからじゆうりんしたものである。かかる強行採決によつて、事態は最早新安保条約の是非すらも超え、憲法秩序が維持されるか否か、民主主義が守り通せるか否かという非常事態に陥つた。

(ハ) 被告人らは右のように侵害された法益すなわち最高度に保護されるべき新憲法の諸原則なかんずく民主主義を守るために本件各行為に出たのであつた。

(ニ) それらの行為には社会的相当性があつた。すなわち当時国民は、(イ)(ロ)の事態に対する抗議の意思を国会ならびに首相に伝え、国会解散、内閣総辞職に追込む以外に、前記侵害から憲法秩序を回復する方法はなかつた。被告人らは、そのため、近代社会における意思表示の手段として最も効果的かつ合理的な手段である大衆集団行動を国会議事堂周辺で展開したのであつた。総理大臣官邸構内への侵入や公務執行妨害は右の集団行動に付随して生じたにすぎない。特に前者は五月一九日夜半の事態の直後たる五月二〇日と、岸首相が「声なき声の支持」と称して居直つた五月二八日の直後たる六月三日に生じたものである。そうしてこれらの行為によつて侵害された法益は、前記(イ)(ロ)のように民主主義、議会主義などの憲法上の法益に対する侵害に比較すれば余りにも軽微である。

(2) 法令行為の主張

憲法第一二条は、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。」と規定する。被告人らの各行為は、右規定に従い、右(1)の(イ)(ロ)のように侵害された憲法秩序を保持するために払つた努力であり、刑法第三五条の法令行為に該当するというべきである。

(3) 実質的違法性がないとの主張

被告人らの各行為は、窮極において現在の法律秩序に適合する適法行為であり、実質的に違法性を欠く社会的相当行為である。すなわち、

(イ) 被告人らの動機、目的は憲法の民主主義、平和主義、議会主義を擁護するにあり、正当であつたし、

(ロ) その手段は、近代社会において最も典型的でかつノーマルな集団行動を中心とするもので、相当というべく、

(ハ) それらの行為によつて擁護しようとした法益は憲法上の諸原則であるのに比し、これらにより損われた法益は、都条例違反の行為については被告人ら以外の者の通行の自由であり、公務執行妨害の行為については国家の作用であつて、被告人らが守ろうとした法益の方が一段と高次の価値を持ち、

(ニ) 結局被告人らの行為は全体として憲法秩序と憲法上の正義の理念に合致する。

(4) 適法行為の期待可能性がないとの主張

被告人らが本件当時本件各行為に出ずして他の適法行為に出ることを期待するのは不可能であつたから、責任を阻却する。その理由は、

(イ) 本件は、安保条約の改定が前年度から着々進行し、五月一九日の強行採決によつて危機感がクライマツクスに達した時期に起こつたものである。五月一九日の強行採決は、国民大衆に対し民主主義そのものの危機が到来したことを自覚させ、新安保条約に反対する者も消極的に賛成する者をも民主主義擁護のために立ち上がらせた。殊に右の危機感は被告人らが属するインテリゲンチヤの間に拡がつていた。

(ロ) 被告人らは皆、感受性に富み正義感にあふれる青年である。真理を愛し自己犠牲的である被告人らだからこそ、本件のごとき政治状況に敏感に反応し、本件行為に出たのである。

(ハ) 本件当時身近の大学教授や文化人達が続々と岸内閣や自由民主党に対し抗議の意思を表明し、被告人らの抵抗意識の形成に深刻甚大な影響を与えた。

(ニ) 被告人らの多くは学生自治会の役員をしており、一般学生から皷舞されもしくは日和見的だと批判されて、強力な抗議運動を計画し指導せざるを得ない立場に追い込まれていた。

(ホ) 当時南朝鮮やトルコにおいて学生、青年による民主革命が実現されつつあるとの報道があり、被告人らを強く刺戟していた。

(ヘ) 都条例違反の点についていえば、五月二〇日以前の一連の集団行動の経験に照らし、国会周辺の希望コースを申請しても許されないことが予め明らかに察知されていた。しかも五月一九日夜のような民主政治にとつてアブノーマルな状況を政府自らが作り出す事態の下では、被告人らに許可申請、許可という、政治情勢がノーマルな場合の順序を踏むことを期待することは全く不可能であつた。

(5) 違法性の意識の可能性がないとの主張

被告人らはすべて自分らの行動は正当であり違法でないと確信していた。そうして本件当時、前記(4)記載の事情からして、自からの行動を違法でないと信じたのは誠に無理もなかつたのである。

殊に、都条例についてはこれを違憲とする昭和三四年一〇月一三日の東京地方裁判所刑事第一〇部の判決があり、被告人らはこれを支持し、都条例の違憲性を確信していた。このように被告人らは本件行為の違法性を意識せず、かつ意識する可能性が無かつたかもしくは困難であつたから責任を阻却する。

(6) 抵抗権の主張

被告人らの本件各行為が以上いずれの理由によつても犯罪としての成立を阻却されないとしても、当時の緊急状態においては抵抗権の行使として正当化される。すなわち、

(イ) 第一に当時前記(1)(イ)(ロ)のとおり憲法秩序および憲法上の原則に対する明白かつ現実的な危険が存在したうえ、

(ロ) 前記(1)(ニ)のとおり、被告人らの行つた行為以外に、右憲法秩序を回復する方法のない状況であり、

(ハ) 前記(1)(ニ)、(3)のとおり、その方法は窮極において現在の秩序から是認される妥当なものであつた。

(二)  当裁判所の判断

(1) 以上は被告人らの判示全行為に対する関係で主張されているのであるが、判示行為のうち都条例違反の事実と公務執行妨害、住居侵入の事実との間には右主張を判断するうえで若干性質を異にするものがあることをまず指摘しなければならない。いうまでもなく違法性もしくは責任阻却事由の存否は可罰性評価の対象である被告人らの行為、つまり構成要件に該当する行為に即して検討されなければならないが、この点において右の両者には性質上の差異が認められるのである。すなわち、公務執行妨害および住居侵入の事実における右の構成要件的行為が警察官に対する暴行行為もしくは住居への侵入行為そのものであるのに対し、都条例違反の事実におけるそれは、前記二、特にその(三)で詳説したとおり、集団行動を指導した行為自体ではなくして許可申請を経由しない集団行動を敢えて指導した行為であり、従つて後者について犯罪の阻却事由を論ずるにあたつては、被告人らの指導行為そのものよりもむしろその集団行動について許可申請を経由しなかつたという事実に着目する必要がある。

(2) そこで都条例違反の事実について検討を進めると、この点に関する弁護人の主張は、主として本件各集団行動自体またはそれらの集団行動を被告人らが指導したこと自体を対象としてその論旨を展開しているように思われる。しかしながら、被告人らが都条例違反の罪責を問われる理由が単に集団行動を指導した点にあるのではなく、許可申請の経由されていない集団行動を敢えて指導した点にあることは右に述べたとおりであり、前記二の(四)および(五)で認定したように本件集団行動について許可申請を経由し得なかつたという事情もしくは許可申請を経由しなかつたことを正当と看做し得るような事情が全く存在しない以上、弁護人の(1)ないし(4)および(6)の主張は、その余の点を判断するまでもなく失当といわざるを得ない。

これと異なり弁護人の(5)の主張、すなわち被告人らは都条例が憲法に違反すると確信しており、そう確信することが社会通念上是認できるから故意を欠くとの主張は、本件事案に即した主張であるから以下さらに検討を加えると、東京地方裁判所において都条例を違憲とするいくつかの判決がなされ、また識者の間にも同様の意見を述べている者が少くなかつたことからすれば同条例が違憲であるとの確信を抱いていたという被告人らの供述もうなづけないわけではない。しかし右の判決についてはいずれも上訴がなされ、当時未だこの点について最高裁の見解が示されていなかつたこと、および都条例の要請する許可申請は集団行動を実施する被告人らの側でなしうるのであつてかりに主観的には同条例が憲法に違反すると信じていたとしても有権的にそれが確認されるまでは一応右の要請に従うべきであることを考えれば、下級審裁判所の判決もしくは自己の確信のみに基いて直ちに現存する法令を否定する態度に出るのは早計であつて、到底現行の法律秩序に照らし是認されるものではないというほかはない。

(3) 次に公務執行妨害および住居侵入の点について判断する。弁護人のこの点に関する多岐にわたる主張は、その骨子を次の諸点、すなわち新安保条約および五月一九、二〇日におけるいわゆる新安保条約の強行承認がいずれも憲法上の諸原則に対し明白かつ現実的に背反するとの緊急状況の存在、被告人らは憲法に違反する新安保条約の成立を阻止するとともに国会の正常化を求めて本件各行為に出たものであるとの目的の正当性、ならびに右の目的達成のためにとられた手段は社会的相当性があるか、もしくは本件の具体的状況下では他にこれにかわるものを見出し難いやむを得ない行為であつたとの手段の正当性に求めている。

新安保条約が日本の安全に深くかかわりあうとともに日本の将来を規定するともいうべき重大な条約であること、弁護人が前記(一)(1)(イ)で指摘している諸点をめぐり国会殊に安保特別委員会において激しい論議がたたかわされていたこと、国論もまた二分し新安保条約に反対する運動も次第に高まつていたことなどの諸事情に加え、五月二六日の会期限まで一週間を残していた五月一九日に至り政府および自民党は新安保条約の単独承認を図り、午後一〇時二五分頃安保特別委員会において混乱のうちに質疑を打切るとともに新安保条約の承認を求める件などを可決し、一〇時五〇分頃警察官五〇〇名を院内に導入して一一時七分から坐り込んでいた社会党議員を排除したうえ一一時四九分本会議を開き、会期の五〇日延長を単独採決し、続いて翌五月二〇日午前零時六分から本会議を開いて新安保条約の単独裁決を行なつたとの報道がなされ、新聞の論調が一斉にこれを非民主的な行動であり多数の横暴であると非難するような事態が生ずるに及んで、国会周辺においてかつてない大規模な抗議運動が繰り返されるに至つたことが認められるのである。国民が、法令の改廃もしくはある政治的状況をめぐり自己の判断と信念に基いてこれを批判し、政治的な活動を行なうことは、民主主義社会における当然な権利である。しかし、目的や動機が正当であることは必ずしも犯罪の成立を否定するものではない。問題はその手段である、前記のような政治的批判や活動が、いやしくも民主主義体制、憲法体制を前提とする以上、それらはあくまでも理性的、民主的になされるべきであつて、法秩序を無視した暴力的行動に出ることは許されない。もちろんそれら行動を行なうに至つた一般的状況や目的を十分考慮しつゝ正当な法律的評価を下すべきであるが、それにしても、その手段が窮極において現行法律秩序の見地から是認されない場合には、やはり刑事責任は問われうるといわなければならない。そこで本件各行為が、当該具体的状況下にあつて、社会的相当性があつたか否か、もしくは他にこれにかわる手段を見出し難い緊急行為であるか否かを検討するため、あらためてその具体的態様をみると、公務執行妨害の事実のうち判示第一の(二)の点は、国会議事堂正門前で構内への侵入を阻止するため警備に付いていた警察官に対して、行進の進路を阻まれたことに抗議する意図で集団をもつて突き当つたもの、判示第二の(二)の点は集団行動の進路を阻まれて他方向に規制されたことと当日多数の逮捕がなされたことに憤慨して警備警察官に投石したもの、判示第四の(三)の点は総理大臣官邸の構内で警備していた警察官に対し木片などを投げつけたもの、また判示第四の(四)の点は一旦官邸構内に侵入して警察官に排除された後、正門入口附近で再度の侵入を阻止するため警備に付いていた警察官に対し集団で突き当り押したものであり、住居侵入の事実のうち判示第一の(三)(四)の点は門扉を閉ざして警察官が侵入を制止している官邸構内に、集団の力で門扉を開けもしくは門柱や囲壁を乗り越えて侵入したもの、判示第四の(二)の点は官邸構内で抗議集会を開こうと企て、門扉や阻止車輛を引き出して侵入したものであつた。

すなわちその手段たる行為は、公務執行妨害の点では警察官の身体に対する直接的暴力行為であり、住居侵入の点でもこれまた積極的、暴力的態様における侵入行為であり、総じて平和的、民主的な批判行動とはほど遠い秩序否定の態度であるといわざるを得ない。しかも、それらの行動のねらいが、権力機構の一翼を担う警察官に対し抵抗を試みることによつて自己の主張の正当性と意思の強固さを示しもしくは他の抗議行動に支援を与えるところにあり、その支えとなる目的意識の面で正当だと信じていたとしても、被告人らの窮極の目的を達する手段としては、何としても本筋をはずれた、矯激の行動と評するほかなく、結局安保阻止国民会議その他同様な抗議行動を行なつていた諸団体がこれらの手段を過激な行動として採らなかつた事実に徴しても明らかなように、理性的、民主的見地からは相当性がある行動とは到底いえないことはもちろん、被告人らの意図する目的を達成するうえに必要不可欠な、もしくは緊急やむを得ない手段であつたとは認められないのである。

以上のとおりこれらの行動が社会的相当性があるといえない以上、これを前提とする弁護人の正当防衛の主張((1))、法令行為の主張((2))、実質的違法性がないとの主張((3))、抵抗権の主張((6))はいずれも採用するに由がない。また本件各行為が現行法上是認されないことは被告人らの自認するところであるから、かりにも被告人らに違法性の意識がなかつたとはいえないから、弁護人の(5)の主張もまた採用できない。最後に適法行為の期待可能性がないとの主張((4))も、被告人らの判示各行為が自己の政治的信念をつらぬくために出たものであるとするならば、なおさらのことそのような動機によつて直接違法な行動に出るが如きことは現行法律秩序の相容れるところではないのみならず、その主張のような事情と動機のもとで敢えて前記のような各違法な行為に出るについて適法な他の行為を期待することが全くできなかつたものとは到底いえず、むしろ如何なる行為を選択すべきかを十分に考慮し得、かつ適法な政治的活動を選択し得たと認められるのに敢えて本件各行為に出たものであることは明白であるから、右の主張もまたこれを採用することができない。

(法令の適用)(略)

なお右のとおり量刑したについて一言付け加えれば、上来判示のとおり本件各行為は、安保条約改定の是非をめぐり議論の対立が激化して国論が二分し、改定阻止を目的とする政治運動が次第に激しさを加えていつた過程の中で発生したものであつた。もとより、右のような国の根本方針を定める条約について、国民がこれを批判し、そのための活動を行なうことは、民主主義社会における当然の権利であり、その主張自体を裁くことは許されない。しかしその行動は、いやしくも憲法体制を前提とする以上あくまでも法秩序と是認する枠内で、理性的、民主的になされるべきは当然であり、法秩序を無視して実力行使に出ることは断じて許されない。たとえ当時の政治的状況が被告人らにとつていかに堪え難く、いかに不合理であつたとしても、これに対し暴力をもつてむくいることは排斥されなければならないのである。すでに検討したとおり、被告人らが本件各行為の動機目的が正当であると信じていたとしてもその行為の態様は、民主的な批判行動とは遠い、最も直接的な実力行使であつて、到底法の許容するところとはいえないのである。しかも憲法の平和主義擁護の意気に燃えて行なつた被告人らの行動が、まさに憲法の認める平和的説得手段の限界を逸脱したことはまことに遺憾であり、その責任は重いといわなければならない。とりわけ、被告人関勇の六月三日における公務執行妨害行為の如きは、学生全体の示威活動からも一段とかけはなれた過激でかつ野人的な振舞いと評するほかはなく、強く非難に価いするものである。

しかしながら他面、昭和三三年藤山、ダレス会談によつて口火が切られ、昭和三五年一月岸首相の渡米、新安保条約の調印を経て同年六月一九日の自然承認、同月二三日の批准書交換に至る安保条約の改正問題を軸として移り進んだ時期は、戦後の日本において最も深刻ともいいうべき政治的対立のみられた激動期であつた。就中、本件各行為は、右の一連の流れの中で特に政治的混乱と緊張の高まりが生じた段階すなわち昭和三五年五月二〇日のいわゆる新安保条約の単独承認という事態が発生した直後の段階で惹起したものであつて、かかる切迫した異常な情勢の下で、被告人らが憤激と絶望感から、青年の一途な激情をほとばしらせた結果とも認めうるのであり、被告人らの刑事責任を量定するうえでこの点は何としても無視することはできない。このことは、これらの行動が、かつてはこの種の行動に参加しなかつた大学の学生を含む大規模の学生によつて担われたという事実からもはかり得るところである。そうして被告人らはこれらの行為を別とすればいずれも正義感にあふれた前途有為の青年であることを考慮し、あわせて同種事件における量刑を勘案したうえ(昭和三六年一二月二二日東京地方裁判所刑事第八部において被告人清水丈夫、同林紘義はいずれも建造物侵入罪(いわゆる一一、二七事件)でまた被告人鬼塚雄丞、同西部邁、同大島芳夫、同星野中、同早川繁雄はいずれも建造物侵入罪および威力業務妨害罪で各懲役刑(ただし執行猶予付)の言渡を受けており、これらと本件とは同時審判の可能性があるため検察官から特にこの点を斟酌した求刑がなされており、当裁判所もこれにつき配慮した)、今回はその責任を明らかにして今後を戒め、かつ自戒を期待しつつ、刑の執行はこれを猶予することとした次第である。

(本件公訴事実中無罪の部分の理由)

一、まず、被告人中林真一に対する傷害の点について

(一)  右公訴事実は、「被告人中林真一は昭和三五年五月二三日午後四時過ぎ頃東京都千代田区霞ヶ関三丁目六番地衆議院第三議員会館前路上において、折から東京都公安委員会の許可を受けないで日米安保条約改定阻止等を目的とする集団行進、集団示威運動を行なつている学生約一、〇〇〇名を制止していた警視庁第四、第五機動隊、中央大隊、公安一課等所属の警部若林新ら約四二〇余名の警察官に対し、多数学生と共謀のうえ投石を繰り返し、右投石により右警察官のうち別表記載の第四機動隊警部補田部井豊吉以下五一名に対し、同表記載のとおり各傷害を負わせた」というものであり(別表は省略する)、判示第二の(二)記載の被告人にかかる公務執行妨害罪と観念的競合の関係に立つものとして公訴が提起されたものである。

(二)  本件の経過ならびに被告人の行動は判示第二の(二)で認定したとおりである。

被告人の投石によつて負傷者が生じたか否かおよびどの学生の投石によつて誰が負傷したかについての証拠は全く存在しない。従つて被告人に傷害罪の責任を負わせるには、被告人と投石した他の学生との間に、投石するについて意思の連絡があつたことが証拠上認定されなければならない。

判示第二の(二)の事実認定に用いた各証拠によれば、投石は、行進中これまでになく多数の学生が検挙されたことを目撃し、もしくは行進指導者から告げられて学生らの間に警察官に対する反感がつのつていた折柄、さらに判示第二の(二)に認定のとおり、行進の進路を警察官に阻止されて大蔵省方向に実力で押しまくられた頃から始まつたものであつて、集団による計画的のものというべき出来事ではなかつたこと、投石の模様も一斉に開始されたのではなく各人が各様の時期に各様の程度で参加するという形で行なわれたこと、以上のような投石行為について指導者と見られる人々からこれを指示したり煽動したりするような呼びかけは存在しなかつたこと、および約七〇〇名の学生の中には最後まで投石に加わらなかつた者もかなり多数いたことなどの事情が認められる。

一方被告人の投石を最初に目撃した証人稲留次哉の当公判廷(第一二回)における供述によれば、同人は被告人の投石を目撃した直後松原文一巡査が脚立の上で顔を押さえて下に降りるのを目にしたことが認められ、また同松原文一の当公判廷(第一二回)における供述によれば、同人は衆議院南通用門前で逮捕手続をすませてから本件現場にもどる途中投石により小木曽巡査が負傷するのを認めたが、その頃は投石は相当激しく他の二、三の警察官にも命中している状況であつたこと、そこで同人は「投石だから気をつけろ」と言いながら、投石の様子を写真撮影するため附近の脚立に足をかけたとたん、唇に石を受けて負傷したこと、その頃は投石が最も激しかつたことが認定でき、以上の事実に徴すれば被告人が投石し始めたと確認できる時期は、松原文一巡査が負傷する直前、すなわち投石がかなり激しくなり既に小木曽巡査ら幾人かの警察官が負傷した後の段階であるというべきである。また証人稲留次哉、同古賀時雄の当公判廷(各第一二回)における各供述によれば、被告人が投石を止めたのは午後四時一二分頃であつて、その後も約三分間他の学生の投石が続いたことが認められる。

このような状況を基礎として判断すれば、いやしくも投石に参加した者は、参加の時期、期間をとわず、他の投石者すべてと共同して投石することの意思を通じていたと見るに足りるだけの実体を具備するには至つていなかつたものというほかはなく、また少なくとも被告人が投石を始める以前および投石を終了した後においてのみ投石した者と被告人との間には共同意思連絡を認めることができず、かつそれらの投石による負傷者を他の負傷者と区別することもできない以上、本件傷害罪の共同正犯の成立はついにこれを認めるに由がない。

(三)  なお被告人の投石回数は、判示第二の(二)認定のとおり合計十回ないし十数回程度であつて、傷害を負つた五一名の警察官すべてに対し投石が及んだことも、もしくは及ぶ可能性があつたことも認められないから刑法第二〇七条の同時犯の規定もこれを適用する前提を欠くといわねばならない。

(四)  結局本件傷害の点については証明がないことに帰するが、前記(一)のとおり判示第二の(二)の公務執行妨害の行為と観念的競合の関係に立ち一個の訴因であるから、特にこの点について主文で無罪の言渡をしない。

二、次に、被告人田中学、同富永宏、同星野中、同早川繁雄、同井村友彦に対する昭和三五年六月三日午後四時二〇分頃から午後五時過ぎ頃までの間における公務執行妨害の点について

(一)  右公訴事実は、「被告人田中学、同富永宏、同星野中、同早川繁雄、同井村友彦は警察官の制止を排して総理大臣官邸構内において日米安保条約の改定阻止等を目的とする抗議集会を行なうことを意図し、他多数の学生らと共謀のうえ昭和三五年六月三日午後四時二〇分頃から午後五時過ぎ頃までの間東京都千代田区永田町二丁目一番地総理大臣官邸正門附近において、学生らの官邸構内侵入を阻止していた警視庁第二方面警察隊荏原大隊、第四機動隊所属の警部常世田溜吉ら約三六〇余名の警察官に対し、石、棒などを投げつけ、さらに突く、殴るなどの暴行を加えるとともに、侵入阻止のため警察官前面に配置してあつた輸送車四台を正門外に引き出すなどの暴行をし、もつて警察官の右職務の執行を妨害した」というのである。

(二)  判示第四の(二)で認定したとおり、昭和三五年六月三日午後三時四〇分頃衆議院第一議員会館前での集会を終えた約三、〇〇〇名の学生は、集団行進をしながら午後四時二〇分頃総理大臣官邸の正門前に到着した。

(証拠省略)によれば、

当日官邸の運営を所掌する総理大臣官房総務課長から麹町警察署長に対し官邸構内への侵入者を阻止すべく警備要請がなされていた。この要請にこたえて警察部隊は右集団行進が官邸正門前に到着する以前に正門の鉄格子製の門内に向かつてのみ両開きになる門扉を閉じて施錠し、そのすぐ内側に大型輸送車二台をいずれも前部を正門外側に向けて並べ、さらに輸送車の南側(正門の外側に向つて右側)に警視庁第二方面警察隊荏原大隊第一中隊所属の警部常世田溜吉ら八二名がまた輸送車の後方に同第二中隊所属の警部加路口丁ら四五名の警察官がそれぞれ警備についていた。

判示第四の(二)で認定したように右集団行進が正門前に到着すると直ちに被告人富永宏、同星野中、同早川繁雄、同井村友彦を含む一〇〇名位の学生は、共同して正門の門扉にロープをかけて門外の方に向けて逆に引き始め、ついに午後四時四〇分頃引きあけてしまうと、今度は被告人田中学も右の学生らに加わり共同してロープで門内にあつた前記輸送車の引き出しに移つた。そして午後四時四四分頃ナンバー「一た〇五一三」号車を、午後四時四六分頃ナンバー「八た〇八〇四」号車を門外に引き出し、その補充としてその間に警察官が二列に配置した四台の輸送車のうちナンバー「八た〇八〇九」号車を午後四時五五分頃、ナンバー「八す一七七四」号車を午後五時五分頃にそれぞれ門外に引き出した。また午後五時一五分頃ナンバー「八た〇七七九」号車を引き出そうとしたが、南側門柱に車体が接触したためその際は門柱から車体を半ば引き出し得たにとどまつた。

一方、これより先門扉をロープで門外に向けて引き開け始めた頃から、前記約三、〇〇〇名の学生らのなかに、車輛の南側で警備についていた前記荏原大隊第一中隊所属の警察官に対し石や木片を投げつけるものがあつた(被告人関勇の判示第四の(三)の行為はその一部である)。また二台目の輸送車を引き出し終つた後午後四時五〇分頃、数十名の学生が五列位のスクラムを組み先頭は竹竿を横に構えて一斉に構内に侵入し、一旦後退して進路を阻んでいた三台目の車輛を引き出してから再びスクラムを組んで先頭部分の学生において深さ約一五米はいつた頃には(判示第四の(二)の行為がこれである)、右の侵入した学生や正門前の学生の中に右第一中隊警察官ならびに車輛の後方で警備中の第二中隊の警察官に対し、石、棒を投げ、あるいは棒で突き、殴るなどの行動に出るものがあつた。午後五時過ぎ頃右第二中隊の警察官が「検挙」という指揮者の号令で一斉に侵入者の検挙活動にはいると、その場で逮捕された一部学生を除き大部分の学生は正門北側の塀を乗り越えたり、もとの方向へと逃げて行つた。続いて午後五時八分頃、以上の事態に対処すべくその頃官邸内に派遣された警視庁第四機動隊所属の警視伊林長松ら二四六名の警察官が、右荏原大隊第二中隊の警察官と交替して、午後五時一五分頃までの間に正門内になお残つていた学生を門外に押し出し、正門入口に密集して再侵入を防止する態勢を固めた際、右警察官に対しても、石、棒を投げつけ、竹竿やプラカードの柄で突いたり殴つたりする学生があつた。そのため以上の暴行を通じ合計一一名の警察官(内荏原大隊第一中隊に二名、同第二中隊に二名、第四機動隊に七名)が負傷した。

(三)  以上認定した学生らの各行為が公務執行妨害罪における暴行に該当するか否かを検討するに、警察官に対し投石、投木し、突き、殴るという行為については証拠上これを肯認すべきこと明らかであるから、これについての被告人らに対する刑事責任の有無を次の(四)において検討する以外には、問題は輸送車を門外に引き出した行為の評価如何だけとなる。そこでまずこの点について検討するに刑法第九五条第一項の公務執行妨害罪が、公務の執行そのものの保護を目的としており、それ故に同条の暴行脅迫が職務執行の妨害となるべき程度のものを予定していることはいうまでもない。ところで同条は「公務員ノ職務ヲ執行スルニ当リ之ニ対シテ暴行又ハ脅迫ヲ加ヘタル者ハ」と規定していて、刑法第二三四条の威力業務妨害罪におけるように公務執行の妨害行為一般を対象としていないことを考えれば、その暴行、脅迫は程度において右のようなものたることを要するほか、それが公務員「ニ対シテ」加えられたこと、すなわち公務員に向けられたことを必要とすると解される。

これを本件についてみると、上来認定のとおり、学生らが引き出した輸送車四台は、官邸構内への侵入を阻むため配備され、いわば閉じて施錠してあつた鉄門扉を補強する役割を担つていたものであつた。官邸構内への侵入を企図する学生らは、そのためにこそ侵入の進路を阻んでいた右輸送車を引き出したのであつた。たしかに前記認定のとおり、右輸送車の後方および側方には警察官が配置されてはいたものの、引き出し行為が構内侵入への手段としてなされたにとどまり、これら警察官に対する積極的攻撃として行なわれたとは認められない以上、たとえそれが右警察官にとつて侵入阻止活動上不都合な行為であつたとしても、いまだ公務執行妨害罪における暴行とはいえないのである。結局右の行為は判示第四の(二)の住居侵入行為の一部をなすものとしてその刑事責任を量定するにつき考慮を逸しなければ足りるというべきである。

(四)  さて次に警察官に対し投石、投木などの暴行をしてその公務の執行を妨害したとの点についての被告人らの責任を検討する。判示第四の(三)で有罪と認めた被告人関勇を除き、被告人ら自身がこれらの行為をし、もしくはしようとしたとの証拠は全く存在しない。そのうえ被告人星野中、同早川繁雄、同井村友彦はいずれも第四機動隊が排除活動にはいる前に住居侵入の現行犯人として逮捕されているから、その後の右警察官に対する暴行に加わる余地はないのである。(ただ、(二)の冒頭掲記の証拠中松原文一の昭和三五年六月四日付写真撮影報告書その三(特に26ないし28番の写真)および桜井秀男他一名が同月三日に撮影した一六ミリフイルム一巻(前記証号の三)によれば、午後五時八分頃から第四機動隊が排除活動にはいり正門から学生を押し出そうとし、一時入口附近で学生らと押し合いになつた際、押し合いの中途から被告人富永宏が正門前に半ば引き出されていた前記第五番目の輸送車のボンネツト附近に立ち、左手を車にかけて正門前の学生らの方向を向き、右手を上にあげて正門の外側から内側に向け数回振つている状況が認められる。しかしながら被告人富永の右行為については、前記の写真と一六ミリフイルムを除いて全く証拠はなく、そこに写し出されている右のような外形的動作からだけでは、これが特に学生と警察官との押し合いに関連性を持つた行為であると認定するに足りないのである。また本件公訴事実には、暴行の内容として、冒頭(一)記載のとおり、「石、棒などを投げつけ、さらに突く、殴るなどの暴行を加えるとともに、侵入阻止のため警察官前面に配置してあつた輸送車四台を正門外に引き出すなどの暴行」と記載されているのみで右の押し合い行為は指摘されていないこと、ならびに右行為が被告人星野中、同早川繁雄、同井村友彦が逮捕された後のいわば偶発的な出来事であつてこれについて右三名に共同犯行の責任を負わせることは困難であることを併せ考えると、検察官は右三名と被告人富永宏、同田中学を含む多数学生の共同犯行として主張する本件公務執行妨害の事実には右の押し合いの行為を含ませる趣旨であると考えることはできない。結局いずれの点からみても、右の行為につき被告人富永宏の責任は生じないものといわざるを得ない。)

そこで被告人らと投石等をした学生らとの間に共謀が認められるかを考えるに、いわゆる共謀共同正犯における共謀とは、各人の実行行為を伴う共同正犯の主観的要件である意思の連絡とは異なり、数人の間に単に共同犯行の認識あるをもつて足りず、進んで特定の犯罪を行なうため共同意思の下に一体となつて互に他人の行為を利用して各自の意思を実行に移すことを内容とする謀議をなすことを要すると解される。ところで(二)冒頭記載の各証拠によれば、被告人らを含む大部分の学生にとつて当日の行動の主要な目標は、前認定のとおり官邸構内への侵入を図ることにあり、実際にも門扉の引きあけ、車輛の引き出しなどに専ら関心が向けられていたと認められるのに対し、投石等の行為は約三、〇〇〇名の学生のうちのごく一部によつて個別的になされたものであつて、右の全体の動きとはややはずれた行動であつたと見る方が妥当であり、その他全証拠を検討するも、被告人らとこれら学生との間の共謀の事実も、これを推認させる状況も共に見出すことはできないのである。

(五)  このようにして結局この点については犯罪の証明がないことに帰するから、刑事訴訟法第三三六条後段により無罪を言渡すこととする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 安村和雄 沼尻芳孝 香城敏麿)

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